どーも!!T.Yです。。。明日塾休みだぁ~!!
今日ゎkkの家に行きました~
ずっと前から気になってるのですがkkの家ゎなぜいつも入り口が開いているのでしょうか??
ドロボーに2回入られたそぅなのですが、僕が行くときゎ必ず開いてます。。。大丈夫なのでしょうか(笑
さて今回ゎ、神話!!!神です神!!!
皆さんゎ神をゎいると思いますか??僕ゎUFOと同じくらい信じてます(笑
居るが100%とすれば30%程度ですかね。。。

三角形の中に描かれた人間の左目。。。
それはフリーメーソンの重要な象徴の一つ、「万物を見る眼」である。
全ての事物を見通す眼は、絶対神の瞳に他ならない。
それはヤハウェ、アッラー、ホルス、アフラ・マズダ、ヴィシュヌ、ミトラス、あるいは弥勒の目でもいぃ。
なぜなら、世界宗教はいずれの道を辿っても唯一絶対神に行き着くヵラだ。
ぃずれ、世界の宗教は一つに統合される。
それはまた、フリーメーソンが保持する理想でもある。
だからこそ、彼らの標語には「エ・プルリブス・ウヌム(多から一)」がぁる。。。
ようづるにこれゎどの宗教でも共通といえるじゃなぃでしょうかねぇ。。。
でゎ僕が一番好きなマヤ・アステカの神話から。
◆天界の三神
原初において人間はまだ一人も存在せず、あらゆる動物も草花も石も谷間も洞窟も存在しなかった。ただし、混沌ではない。陸地は無かったが、静かな海と限りなく広がる空だけがあったという。そして、暗闇と静寂の海の中を二人の神が動き回ってぃた。。。
そしてツアコルとピトル、テペウとグクマッツ、アロムとクァホルだけが水の中に光り輝いていた。緑と青藍の羽根につつまれて光り輝いていた。それゆえその名をグクマッツといった。彼らは偉大な知恵者、偉大な哲人の資質を具えていた。こんなふうにして天があり、天の心があった。これが、とりもなおさず神の名である。(カタカナの読み間違えやすいゎ!
研究者A.レシーノスによれば、これらの諸神は結局は一組の母神と父神を指すという。すなわち、ここに列挙されている神々は、結局、ツァコルとビトルをもって一体となすニ元神のそれぞれの別名であるというのだ。ここで一度整理しておけば、ツアコル=テペウ=アロム。そして、ピトル=グクマッツ=クァホルとなる。
それぞれの語義を以下に述べよう。ツァコルTzacolとビトルBitolは、創造主と形成主。アロムAlomとクァホロムQaholomは、諸説あるが、ヒメーネス神父によれば『母』と『父』、ラスカーサス神父によれば、インディオが天にあると信じていた『大母』と『大父』であるとしている。テペウTepeuは、Tepeuhから出た名で『王』もしくは『戦勝者』。一方のグクマッツは、Guc-が『緑色の羽根』で、マヤの神鳥ケッツァールを意味し、cumatzが『蛇』である。。。。
すなわちGucumatzで、『緑色の羽根でつつまれた蛇』となる
このグクマッツは、トルテカ族の聖神ケツァルコアトルQuetzalcoatl、マヤ語ではククルカンKukulucanと呼ばれる神と同一神である。ポポル・ヴフの創造神話によると、これらの神は水の中にあったとされている。それは、キチェー族がグクマッツと液体とを関連づけて考えていたからだとされる。カクチケルの手書き本には、「グァテマラに移住した原始民族の一つは、グクマッツという名であった。それは水の中に自らの救いを見出していたからである」としてぃる。。。
◆ケツァルコアトル
メキシコおよび中央アメリカの全ての神話の中で最も力強い影響力を放っている神――それは神官の王、偉大な鳥の蛇ことケツァルコアトルである。彼は偉大な法律制定者兼啓蒙家で、暦や『運命の書』の発明家であるとされる。彼は非常に慈悲深い王で一切の殺生を禁止した。悪魔は、彼に殺戮や人身犠牲をやらせようと執拗に誘惑したが、チマルポポカ絵文書の著者によると彼は決して同意することはなかった。なぜなら、彼は隷属民のトルテカ人を愛し、犠牲に供したものはいつもカタツムリ、鳥、蝶だったからである。。。
でゎ彼が一体誰だったか、あるぃはどこからやって来たのかとかは、誰にも分からない。しかし歴史上、実在した人物であることは異論がない。メキシコで実地の研究をしているフランスの考古学者ローレット・セジュルネは、ケツァルコアトルはキリストとほぼ同時代に生きていた一人の王であるとしている。彼は偉大な法律制定者であり、あらゆる物事を理解し何事においても公正であったと言われる。だから、メキシコ宗教の中心的儀式の一つとなった人身供犠を絶対に容赦しなかった道徳人であった。。。
その名は「あらゆる慣行、儀式、教義において完璧」であると考えられたため、啓示を得たと思われた神官たちは誰でもその名を与えられ、彼らの宗教の創始者の名を受け継いできた。ケツァルコアトルと呼ばれた一連の神官たちは、彼らの名前で実行された血に飢えた慣行から推測されるように、決して慈悲深く、献身的で、敬神の念に満ちた理想のケツァルコアトル像ではなかった。しかし、神話を創った伝説の人物、最初のケツァルコアトルは、そのような輩とは全く比較にならない倫理観と器量を持っていたのであろぅ。。。
◆ケツァルコアトルとイエス・キリスト
ケツァルコアトルはポポル・ヴフに出てくるグクマッツであり、また天の三体の心(フラカン)の一人チピ・カクルハーと同一神である。チピ・カクルハーはスペイン人が持ちこんだキリスト教の神イエス・キリストに他ならず、前章の結論からもトルテカの神ケツァルコアトルは至聖三者の一人『御子』であることが分かる。実際、スペイン人の侵略後、キリスト教の教義を導入したマヤ人は、自分たちの主神ククルカンをイエス・キリストと同定していた。だが、気をつけて欲しいのは、ケツァルコアトルの物語自体はスペイン人侵入前から存在していたということだ。マヤ人が二つの神の境界を排除したのは、そこに潜在的なアナロジーを感じ取ったからなのかもしれなぃ。。。
調べた元ゎ『ポポル・ヴフ』Popol Vuhとぃう本です。。。興味があれば見るよろし。。。
でゎ疲れたのでこの辺で!!神話(2)でゎ北欧神話でも書こうかな。。。(≧ω≦)
まぁ暇なときですが。。。
じゃッ!!⌒☆
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